月刊私小説

[月刊私小説]流動的なツラツラ

少し、熱があるかもしれない。


今このセミダブルのベッドの上には夫のiPadとリナックスのマシン、そして私が買ったMacBook Air, 通称「エア子」がいる。居間の食卓にはWindowsのPCが二台。夫は大音量でゲームをしているので、私はヘッドフォンを装着してGreen Dayを聞いている。

喉が痛む。タバコを美味しく感じられないというのは、私の健康状態を測る上で最悪のコンディションだ。


先日、友人と形容していいのか若干の逡巡はあるが、以前書いたひかるくんの出演する音楽祭に行ってきた。待ち時間が長かったので、会場周辺をさまよい、やっとの思いで喫煙可能なカフェを見つけ、そこで七十四歳の女性の話を聞いた。
ひとり息子の嫁が、十四年前に子供二人を残して失踪したという。

「もう上の子は大学を出るの。下の子は二十歳。下の子はね、少し反抗的なのよ。デートだカラオケだって家を空けてばっかり。でもそういうお年頃よね。あたしは何も言わないようにしてるの。服を脱ぎ散らかすこと以外はね」


いつだっけ、先週か。ひかるくんと会った後、衝動的にひとりで書きまくりたくなって、それは恐らく彼に触発されたものだったと思うのだけれど、BNBTはあいにく満室、っていうか金がない、となり、仕事中の夫に許可を取って実家に帰った。

何もしなくても食事が出てくるという環境は素晴らしい。しかし両親がいるとやはり色々と不都合も多い。母と語らい、一緒に映画を見たり、父の一年間の集大成である菊七十鉢を楽しんだり、まあ、家族団欒はいいのだ。
しかし彼らがいると私はやはり「娘モード」になってしまう。ひどく情緒不安定だった。彼らに泣きついた。
結局ほとんど何も書けないまま、週末には東京に戻った。


尹さんのWSのまとめ後編を未だ書けておらず忸怩たる思いである。


一行で完結する小説が百篇収録された本を実家から持って帰ってきた。
「現実宿り」が手付かずのままキッチンの私の布団の上に置いてある。
今の私は現実にきちんと宿れていないように思う。


「いいんですよ、俺らみたいなモノ作りの人間は、それで」


頭が痛い。


最近ドトールでよく見かける女性がいる。いつもパステルカラーの細いパンツを履いていて、その細さは病的と称して差し支えのないもので、左手に杖を持っている。年齢は三十代後半くらいだろうか。身体の薄さに反比例するかのように、彼女の髪の毛はふさふさとしている。
自力でドリンクを運ぶことができないようで、毎回メガネくんや店長さんがサーブしている。

いいじゃないか、誰だって外でお茶くらい飲みたいものだ。
「優雅で可愛い白髪のおばあちゃん」は、認知症になったと聞いた。
そして私はドトールに通う回数を減らさないと口座が火を噴く。


今書き進めている本業小説のタイトルがなかなか固定しない。


目を見て話しているのに、その大きな眼に私は永遠に永遠に永遠に映ることはないのだ。

だから私は書き続けるのだろう。
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